現在の位置

白井市の地理と歴史(抄)

更新日:2015年3月1日

 白井市は千葉県の北西部、印旛地域の最西部に位置します。市の東は印西市に、南は船橋市と八千代市に、西は鎌ヶ谷市、北は柏市に接し、市域は面積35.41平方キロメートル(東西約8.7キロメートル、南北7.7キロメートル)です。市には標高20~30メートルの平坦な北総台地が広がります。市の北側には手賀沼、南側には印旛沼へ流れる神崎川や二重川があります。白井は印旛沼水系の中でも上流域にあたり、川が小さく水田になる土地が限られることもあり、市内では明治以降に梨の栽培が普及し、現在では全国有数の梨の産地として知られています。
 白井市は都心からは約30キロメートルの距離にあり、近年は市を東西に横断し都内に通ずる北総鉄道の各駅を核とする千葉ニュータウンを中心に人口増加のいちじるしい地域です。その一方で、市には田畑や林も多く残り、谷津周辺では湧水が観察できるなど、自然の豊かな田園都市でもあります。

(画像)千葉県指定史跡 清戸の泉

千葉県指定史跡 清戸の泉

市指定文化財 印西牧場之真景図

市指定文化財 印西牧場之真景図

県指定文化財 小金牧の牧士資料

県指定文化財 小金牧の牧士資料

国指定重要文化財 滝田家住宅

国指定重要文化財 滝田家住宅

 白井で人々が暮らし始めたのは旧石器時代、今から約2万7千年前のことです。以降市内では縄文時代から古墳時代にいたる各時代の遺跡が確認されています。古代の白井を伝える資料は考古学的な資料を除くとごくわずかですが、平安時代初頭の大同年間(806~809年)の竜神伝説が残る「清戸の泉」は千葉県指定史跡となっています。なお、白井市北部には平安時代の末までには国衙領として平塚郷が成立していたようです。
 鎌倉時代になると白井市から印西市北部にかけては埴生西條と呼ばれ、白井市内は北部に平塚郷、南部に富谷郷が存在し、北条実時の支配下に置かれます。北条実時は金沢実時とも呼ばれ、現在の横浜市金沢区の金沢文庫や称名寺の創設者として知られています。鎌倉時代の後半には富谷郷を富谷左衛門入道が支配するようになります。彼は鎌倉幕府15代執権北条貞顕の養育係となり、貞顕の重臣として活躍した人物です。
 南北朝の動乱を経て室町時代に入ると、印西から白井周辺は印西庄の内郷・外郷としてまとめられ、今の鎌倉市にある円覚寺の所領となりますが、千葉氏や原氏、高城氏を始めとする在地勢力の強い影響を受けるようになります。各地区に残る慶長7年(1602年)の水帳や各種資料から考察すると、白井には印西庄内郷として平塚郷、矢田清戸郷が、印西庄外郷として白井郷(もとの富谷郷)が成立しています。各郷の下には村々が存在し、名内地区にある市指定文化財である東光院の木造地蔵菩薩立像の像内には元亀2年(1571年)の銘とともに「下総國印西庄平塚郷名折村」という墨書が残され、その様子がうかがえます。
 江戸時代に入ると、白井は江戸から十里(約40キロメートル)内に位置したことから、大半の村は旗本領となりました。ただし、平塚地区だけは譜代大名井上氏が領主を務める高岡藩の領地となりました。その初代井上政重は初代惣目付(大目付)としてキリシタン禁制に活躍した人物として知られています。一方、市内の平坦な台地上に広がる山林原野には、江戸幕府の軍用馬を育成する御用牧として、十余一・桜台地区には印西牧、冨士地区には中野牧が設置され、野馬と呼ばれる半野生の馬が放牧されました。印西牧や中野牧は東葛地区の牧とあわせて小金牧と総称されました。牧では年に一度野馬捕りが行なわれましたが、その様子が描かれた「印西牧場之真景図」は市指定文化財となっています。牧の日常管理は、有力な農民から選任された牧士が行いました。特に富塚村の名主である川上右仲は牧内のクヌギを利用した佐倉炭の創始者として知られています。江戸時代には各村々で手賀沼・神崎川周辺の新田開発や、牧内外の台地上の開墾を進め、各村の石高が増大するだけでなく、新たな集落も形成されました。
 江戸時代には、鮮魚を大都市である江戸に供給するために、銚子から利根川を舟で遡上する輸送路が生まれ、白井はその中継地として発展することとなりました。その1路が鮮魚道と呼ばれる、平塚地区から富塚地区を経て松戸へ抜ける輸送路で、国指定重要文化財の「滝田家住宅」はその荷受に関わっていたとも考えられます。もう1路は木下で荷揚げし行徳へと抜ける鹿島道(現在の木下街道)であり、その宿場町として白井橋本村と下長殿村に所在した白井宿が発展し、白井地域の中心地として栄えました。
 近代に入ると牧は払い下げられ、開拓が始まります。十余一地区は県内では11番目に入植したことから付いた地区名です。近世村落は当初、そのまま最初の行政単位となりましたが、明治政府による制度の改変で整理統合されることとなりました。明治7年(1874年)には所沢・野口が合併して木村が、長殿・法目・富ヶ谷・富ヶ沢が合併して復村が、七次・中木戸・白井木戸などが合併して根村が誕生するなど、現在の大字の基となる行政区画が成立します。さらには明治17年(1884年)に白井橋本村外6ヶ村連合村が成立、明治22年(1889年)に白井谷清組合村、大正2年(1913年)に白井村が成立するなど、離合集散を繰り返すこととなりますが、最終的には戦後の昭和29年(1954年)の昭和の大合併によって永治村の一部と合併し、白井村がほぼ現況の範囲に近い形で成立します。    
 戦後には冨士地区で開拓が始まり、昭和39年(1964年)に白井は町制へ移行し、以後昭和40年代には国道16号線や白井工業団地、千葉ニュータウンの造成が行われ、昭和54年(1979年)に千葉ニュータウンの入居が開始されて以降は人口増加が進み、平成13年(2001年)白井は市制に移行し、現在に至ります。    

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