来迎寺の仏像群(5躯)(市指定文化財)
天台宗延暦寺派の来迎寺に安置されています
種別
有形文化財(彫刻)
所在地
折立
概要
承久(じょうきゅう)年間(1219~1222年間)の開基と伝えられる天台宗延暦寺派の来迎寺には市指定文化財の仏像が、本堂に5躯(く)安置されています。
その内訳は木造阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)、木造不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)、木造毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)、木造閻魔王坐像(えんまおうざぞう)、そして木造奪衣婆坐像(だつえばざぞう)で、阿弥陀如来立像と不動明王立像、毘沙門天立像が鎌倉時代後期頃の作、閻魔王坐像と奪衣婆坐像は江戸時代後期の作とされています。閻魔王坐像と奪衣婆坐像の製作者は不明ですが、江戸末期の4名匠の1人とされる松本良山(まつもとりょうざん)という仏師が修理をしたことが確認されています。これらの仏像は元々市川市八幡にある葛飾八幡宮の境内に所在した法漸寺(ほうぜんじ)という寺院に所蔵されていました。しかし、明治2年に行なわれた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に損失される運命となり、それを恐れた来迎寺第14代住職である内田恂達(うちだじゅんたつ)師がお寺の什物(じゅうもつ)として納めました。
なお、阿弥陀如来立像と不動明王立像、毘沙門天立像が平成5年に、閻魔王坐像と奪衣婆坐像が平成3年に修理が行われています。
来迎寺の木造阿弥陀如来立像
ヒノキ材の寄木造で像高64.8センチメートルを測ります。頭部は螺髪(らはつ)で肉髻(にくけい)となり、白毫(びゃくごう)・玉眼(ぎょくがん)は水晶の嵌め入れです。右手は折り曲げて掌(てのひら)を立て、左手は垂下し掌を前に出して来迎印(らいごういん)を結び、左足を少し踏み出して立ちます。光背(こうはい)は江戸時代の後補で、射光付きの円光背です。
来迎寺の木造不動明王立像
ヒノキ材の一木造(いちぼくづくり)で像高36.8センチメートルを測ります。巻き髪で眼は天地眼となり、犬歯を突き出した恐ろしい形相です。右手に剣を持ち、左手は羂索(けんじゃく)を持ちます。上半身は裸形(らぎょう)で腰をわずかに右に捻り、岩座の上に立っています。光背には火炎を配しています。
来迎寺の木造毘沙門天立像
ヒノキ材の一木造で像高37.3センチメートルを測ります。本体は胸甲(きょうこう)・腰甲(ようこう)を付け、右手は腰に手をあて、左手は高く挙げて戟(げき)を持ちます。沓を履いて腰を右に捻り、左足は踏み出して邪鬼(じゃき)の頭を、右足は邪鬼の腰を踏みつけています。光背は輪光で金銅製の火炎が付きます。
来迎寺の木造閻魔王坐像
ヒノキ材の寄木造で像高120.5センチメートルを測る堂々とした像容を有しています。大型の冠を戴き、見開いた眼と大きく空けた口から恐ろしい表情を漂わせています。両手は折り曲げて膝上に伏せ、右手には笏(しゃく)を持っています。
来迎寺の木造奪衣婆坐像
ヒノキ材の寄木造で像高36.2センチメートルを測ります。髪は総髪(そうはつ)で髪際が巻き髪となり、口は大きく開きます。左手は曲げて膝上で布片を握り、右手は立てた右足の膝の上に置きます。衣をまとい、垂れ下がった乳房が開いた胸間からのぞいています。
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更新日:2021年03月01日